エジプト演奏渡航記

山本大 津軽三味線リサイタル
2006 エジプト カイロ Japanese Cultural Festival 2006
国際交流基金 (ジャパンファウンデーション)

3/1にエジプトのカイロ、オペラハウスにてソロ演奏をして参りました。この日は私だけのコンサートで、一人で1時間15分位の演奏でした。今回無事に渡航し、演奏できたのも様々な方々の御協力があっての事と思っております。皆様に本当に感謝致します。

Japanese Cultural Festival 2006では、日本人形展、日本映画祭、三浦友理枝さん(ピアノ)とカイロ交響楽団共演、常味裕司さん(ウード)和田啓さん(レック)による現地のアラブ人音楽家との共演、そして私の津軽三味線演奏会が行われました。

山本大津軽三味線リサイタル。
当日配られたプログラム、曲目と解説を訳したものをご紹介します。

津軽じょんから節 旧節
津軽じょんから節 中節
津軽じょんから節 新節
恐山
津軽あいや節
津軽よされ節
十三の砂山(全日本大会受賞曲)
津軽小原節
楽「あそび」
津軽三下がり
津軽甚句〜りんご節〜嘉瀬の奴踊り
津軽即興曲

津軽三味線とは
青森県津軽地方に伝わる民謡に、盲目の旅芸人達が三味線の伴奏を付け、やがて三味線が発展し、歌は無くなり、三味線だけになりました。即興で演奏し、ほとんどの楽曲は津軽民謡をルーツとします。

曲解説

『津軽じょんから節』
津軽三味線を代表し、盛んに演奏される曲。上河原で身投げした僧侶への供養として歌われたのが始まり。旧節〜中節〜新節リズムが異なる。

『恐山』(オリジナル曲)
青森県にある賽の河原、霊場をタイトルにしました。

『津軽あいや節』
日本の南から北へ伝わった曲。お祝いの席などで弾かれていた。

『津軽よされ節』
その昔飢饉が続き、こんな世の中去って欲しいと『世去れ』と名付けられたそうです。

『十三の砂山』
凶作続きに砂山を見て『米なら良かろな』と唄われたこともある唄。風と地吹雪の強い北津軽群郡は、その昔米作に向いていなかった。古代の津軽は貿易盛んな港があり、津波に呑まれ海底に沈んだことを愁うようなことも唄われた。

『津軽小原節』
津軽三味線の三つ物と呼ばれる定番曲。

『楽「あそび」』(オリジナル)
津軽三味線以外の邦楽三味線をイメージして演奏します。

『津軽三下がり』
長野県の馬子唄が津軽に伝わり、ある盲目の三味線弾きによって伴奏されたもの。

『津軽甚句〜りんご節〜嘉瀬の奴踊り』
津軽地方の民謡と盆踊り歌の伴奏の三味線。これらは決まったパターンを繰り返し弾いて行く。

『津軽即興曲』
文字通りの即興。津軽三味線の真髄は即興にあり、その歴史は盲目ゆえに本来楽譜は存在せず、弾く演奏者によって同じ曲名でも、構成が弾くたびに変わります。
津軽三味線の数々のフレーズを盛り込みます。

公演について

曲間、何回か喋りを入れて津軽三味線の歴史や、楽器についてなど、解説を通訳してもらいました。オリジナル曲ではアラビア音階を入れて演奏したりしました。現地ではつまらなければ公演中でも帰ってしまうそうで、誰ひとり帰したくない思いで、本気で渾身をこめて演奏させていただきました。お蔭様で終演まで誰ひとり帰らずに、鳴り止まないほどの拍手をいただき、大変ありがたい気持ちでいっぱいになりました。そして何より、坊様(ボサマ、盲目の旅芸人)達が考案し、弾いてこられた津軽三味線が、海を越え、エジプトで私の手で演奏できることは感無量であり、先人達へ合掌する気持ちで弾かせていただきました。今まで覚え、したためて来たフレーズを、たっぷりと即興で弾かせて頂きました。

渡航に関して

今回渡航に関して心配が幾つかありました。まず外務省の海外安全情報ページの【危険情報】によると、エジプト全土「十分注意してください」とのことで、昨年もカイロ市街で2件の爆発事件があったそうです。治安の心配と、そして三味線の持ち込みに関しての心配。棹の破損、亀裂、温度差などによる歪み。航空機内の気圧の変化による皮の破け、現地の高温による皮の破れやずれ。盗難、武器などに疑われたりしないか?べっ甲製品のワシントン条約持ち込み禁止…。念のため太棹を2丁たたんで持って行きました。ひとつはリュックカートへ入れて背中に担ぎ、もうひとつは軽量ショルダータイプに入れて肩から担ぎ、それにウエストポーチには撥4つを入れて行きました。津軽三味線の皮は強く張るものですが、今回は三味線屋さんに無理をお願いして、ゆるく張り直してもらいました。機内手荷物持ち込みは一つまでなので、断られた場合は航空機の係官を説得することも課題でした。現地ではテロ対策などの為に荷物チェックなど厳しいらしく、疑われて信じて貰えない場合には、実際に三味線を鳴らして説明することも考慮しました。べっ甲の撥などが盗難や紛失、万が一没収などされた場合を考え、預け荷物のスーツケ-スの中にも駒と合成撥を忍ばせて行きました。何がなんでもリサイタルをやり遂げたかったのです!


渡航日記

25日昼出発。成田からカイロへの直行便でフライトは14、5時間程。カイロまではひとりで向かいます。まるで引越しのように大量の荷物を持ちいざ成田へ。搭乗手続きで早速荷物の中身を聞かれる。怪しまれたのでしょうか…。税関申告でワシントン条約べっ甲製品の持ち出しと持ち込みの申告をする。係官はよくわかって無いらしく、「上の者を呼びます」としばらく足止めをくらいました。搭乗する際も厳しいチェック。物騒な事件も多いし係官の方々も大変です。そしていよいよ日本を出発です。

機内、搭乗者はほとんどが日本人でした。何となく拍子抜け。現地時間の23時頃カイロ空港に到着。時差は約7時間。異国の地に降り立った私を迎えてくれたのは、砂嵐と暑さでした。上着は要りません。でも現地の方々は何故か、セーターを着ています。暑い国にいると体感温度が違うのか?空港では厳しいチェックは無かったものの、右も左もわかりません。日本大使館、国際交流基金の皆様方のお出迎えがあって、無事入国。
砂嵐の中、車でホテルに着き早速楽器を検査。航空機内では天袋に三味線を入れたのですが、はみ出て閉まらないそのフタを、スチュワーデスさんが無理矢理閉めていました。とにかく閉まるまで押す!彼女達の強い職業意識と、天袋のフタとの間に挟まれた三味線。その攻防はグリグリという音と共にしばらく続き、思わず「ストップ!」と叫んで止めてしまった程でした。そんなことがあったので、リュックに入れた棹のホゾ等が割れていないか心配でしたが、三味線は壊れること無く何とか無事でした。そして皮の方も異常はありませんでした。

現地に付き、さっそく交流基金の方にアドバイスをいただきました。現地にて「生水を飲まない事と、交通事故には気をつけて下さいとのこと」道路には横断歩道は無く、信号もほとんどありません。完全車優先社会。しかも車線があっても皆無視。隙間があれば追い抜くカーチェイス状態!とても危ないです。運転手さんも公道なのにどんどんスピードを上げていきます。その車の間をノーヘルで荷物を一杯のせたホンダのビッグバイクが、ブンブンと集合管鳴らして追い抜いて行きました…。 歩行者の道路の横断も命懸けです。私は最初いつまでも渡れませんでしたが、現地の方は慣れている様子で、渡って行く姿にびっくりしました。それでも交通事故が少ないそうです。リズム、呼吸をあわせて渡るのでしょうか?

路上の縦列駐車も多く見られました。隙間も無く二重三重に停められてます。車は出せるのか?そして古い車が多いので、街は排気ガスだらけです。遺跡を蝕むまでに影響しているらしいのです。これから公害問題になって行くのでしょうかね…。

26日午前中は休養させていただいて、午後にオペラハウスの会場下見と、お待ちかねの練習をしました。エジプトに着いて初めて三味線の音を出しましたが、何か妙な違和感がありました。暑い砂漠の異国の地で津軽の音…何だか楽しみになってきます。

夜ホテルにて、テレビでアラブ音階の唄メロのラップを聴く。歌手のオーディション番組をやっていて、アラブ音楽をオーケストラとバンドがひとつになり伴奏していました。エジプトの古い映画もやっていて、音楽がアラビア風で、色々と興味深かったです。エジプトはイスラム教の国で、現地のアラブ音楽は国民に愛され、親しまれているように思いました。地元の方々、女性はスカーフのような物を被り、顔を隠していたり、老若男女民族衣装が多かったです。素敵でした。しかしエジプトの皆さま甘党で、見る人会う人コーラとかばっかり呑んでました。

27日午前中にはギザのピラミッド、スフィンクスなど観光させて頂きました。圧巻です!ピラミッドは中に入りました。ラクダも乗りましたが、らくだ引きにボッタクられそうになり、しばらく降ろしてもらえませんでした。昼食はテレビのバラエティー番組で有名になった、スフィンクスの視線の先の、ケンタッキーフライドチキンの2階にあるピザハットにて。外では子供に「土産を買ってくれ!」としつこくされる。言葉はよくわかりませんが、エジプト人はどこでもよく話しかけてきます。



そして午後からは練習2日目。何だかとにかく興奮して弾きまくりました。

練習をしていた部屋のとなりの部屋で、カーヌーン(アラブの弦楽器)の教室の先生が、三味線の音を聞いて私の練習している部屋へ入ってきました。彼は現地では有名な演奏家で、一曲弾いて欲しいと云われ『津軽よされ節』を聴いてもらいました。喜んでいただいたようで、今度は自分の演奏を聴いて欲しいとのことで、隣の部屋へ移動。教室を中断し3曲も演奏して下さり、鳥肌が立つ程に見事な演奏でした。教え子さんはスカーフ姿の女の子でした。彼は日本に来日したことがあるそうで、広島と長崎で演奏したそうです。いつか一緒に演奏しましょうと!約束を交わしました。その後3月1日には、私のオペラハウスの演奏も聴きに来て下さいました。とても貴重な経験でした。
28日午前中は考古学博物館を見学。黄金のツタンカーメンの仮面を見る。ピラミッドといい、ツタンカーメンの仮面といい、遥か古代にこれだけの技術があるのかと、感動します。展示品が多くて、半日ではとても見切れませんでした。

午後の練習は更に力が入ります。夜は当日通訳して頂くカイロ大学の日本語教師の方と、内容打ち合わせ。津軽三味線の歴史や材質などの話しも聞いて頂く。犬の皮については「動物の皮と」と訳してもらうことになりました…。

そして迎えた当日、3月1日。午前中は練習させていただき、午後は会場にて通しリハーサル。19:30開場。着物に着替えて、三味線も2丁組み立て用意する。心配していた客足も良く、会場も満員御礼です。20:00過ぎに始まりました。ステージに登場し、一の糸を叩き始めます。べんっ!…津軽じょんから節です。とにかく最後まで全力疾走です。普段より余計に3の糸をカマシます。またカマシます。さらに引っ掻いて擦って…。これでもか!これでもかっ!と。指はもう取れそうです。撥もいつもより早くなります。何かが自分に降りてきているような気配…。そんな気合いの中、プログラムの曲順を1曲前後間違えてしまいました。やはり何かが降りてきていたようです。このまま死んでしまうぐらい息を止め、とにかく弾き倒しました…。公演が終了しました。真っ白です。まさに燃え尽きました。目を開け、拍手が聞こえています。そして立ち上がり、頭を深々と下げ舞台袖に下がる。エジプトではアンコールは無いのでしなくて良いとのことをお聞きしました。でも拍手は鳴り止みません。しばらく迷いましたが、客電がついてしまい終了…。
後ほど当日の関係者方々から、誰ひとり帰らなかったことをお聞きしました。

演奏翌日3月2日、エジプトの日本大使より、今回のジャパンフェスティバルアーティストの皆様と共に、大使公邸での昼食会へ御招待を受けました。公邸は大変に豪華な建物で、お食事はとても美味しい和食を戴きました。

その後ハン・ハリーリ(市場?上野のアメ横みたいな商店街?)にて、案内の方と土産を物色しに行きました。お店の呼び込み達のパワーが凄く、『ミルダケタダヨ』『チョットミルダケ』『タナカサン!』彼らは知ってる日本語をしゃべってきます。私の名前を知らないのに『ヤマモトヤマ!』と云われてびっくりしました。彼らはどこから覚えたのでしょうか。「上から読んでも〜下から読んでも…」教えてあげたかったです。

翌日3月3日、モハメッドアリモスクを見学。そして午後にカイロ空港へ。まだ三味線を無事に持ち帰る仕事が残っています。何だか帰りたくないです…さらばエジプト!そして3月4日昼、成田着。三味線共々、無事に帰りました。

エジプトカイロ公演を終えて

今回は数々の貴重な経験を、本当に沢山させていただきました。音楽は言葉が通じなくても、国境を越えて人の心に伝わることを大変実感致しました。津軽に居た盲目の旅芸人達が弾いた坊様(ボサマ)三味線。やがて昭和になって津軽三味線と云う名前が付けられました。その津軽三味線を日本文化のひとつとして、海を越えて、砂漠の地で、エジプトの方々に聴いて頂きました。思えば三味線のルーツは中近東の方らしく、シルクロードなどから伝わったそうで、今回は逆に津軽三味線はルーツを遡り、里帰りしたのでしょうか…?

最後に、今回ご協力いただいた皆様方、本当に有難うございました。皆様の御協力があっての渡航でした。今一度御礼申し上げます。そして、日頃から応援していただいている皆様にも本当に感謝しております。大変ありがとうございました。
今後とも皆様宜しくお願い致します。

エジプト渡航記を読んでいただき有難うございました。


津軽三味線 山本大